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測量業登録 第(6)-23266号
有限
会社
ムトウ測量設計
TEL :098-926-2757
FAX :098-936-1714
〒904-0114 沖縄県中頭郡北谷町字港11-18
首里グスク
首里城は1429年尚巴志による三山統一後1879年まで450年間続いた琉球王国 歴代国王の居城であり政治・外交・文化の中心的役割を果たしました。
2000年12月、『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として世界遺産に登録されました。
とりわけ首里城はグスク郡のなかで一番の観光名所です。
別名:「上の綾門(ウィーヌアイジョウ)」上の綾門に対し、「下の綾門(シムヌアイジョウ)」も在ったが、現存しません。扁額にある「守禮之邦」とは、「平和と礼節を重んずる国」という意味をあらわします。
首里城裏手の王族と、それらに仕えた女官の住む地域、 卸内原(おうちばら)への通用門です。
守礼門後方左手にある石門門内は、 園比屋武御嶽と呼ばれる樹木の生い茂る聖域です。石門が拝殿の役割をはたし、国王が城外へ出かける際は道中の安泰を祈願したと 言われています。
三角点後方の黒い屋根は、達磨寺です。
座喜味グスク
三等三角点:座喜味
1/5万図名 :沖縄市北部
撮 影 :2001/02
15世紀の初め頃、武将護佐丸によって築かれたグスク。 護佐丸は中山王(尚巴志)に仕え、北山、南山を制圧し三山統一で活躍した武将です。
建築家としても名高い護佐丸の築城した座喜味グスクは、 沖縄最古のアーチ門と美しい曲線を描く城壁が有名なグスクです。
後に首里王府の命をうけ、勝連グスク監視の為中城グスクへ移転し、
1458年、護佐丸・阿麻和利の乱で敗れました。
護佐丸の居城した、座喜味グスク、中城グスクは共に世界遺産として登録されております。
沖縄最古のアーチ門と城壁
中央奥にうっすらと見えるのが
通称:象の檻(米軍施設)
城壁の上にある三角点標石
勝連グスク
勝連半島の細長く連なる丘の西の端に築かれたグスク。
12世紀頃から築城が始り、14世紀~15世紀にかけて居城した阿麻和利は 海外貿易で琉球王府を凌ぐ程の力をつけたといわれています。
1458年、護佐丸・阿麻和利の乱で、王府軍大将として護佐丸を倒した後、 クーデターを策略した阿麻和利は王府軍に討伐される結果となりました。
しかし、今もなお、琉球最後の英雄として地元では絶大な人気があります。
三の郭より二の郭、主郭を望む
主郭内に三角点があります
主郭からの眺めは絶景
安慶名グスク
四等三角点:安慶名城
1/5万図名 :沖縄市北部
撮 影 :2001/02
築かれたのは、十四世紀ごろと推定されているが詳細は不明、
内郭と外郭からなる沖縄でも珍しい輪郭式のグスクで、自然の断崖と 険しい斜面を巧みに利用した山城
城壁もほぼ原形のままのこっています。
左側奥より三角点へ上がれます。
西側の展望、建物は米軍施設です。
コンクリート製の三角点標石には、
琉球の文字が刻まれています。
伊波グスク
四等三角点:伊波城
1/5万図名 :沖縄市北部
撮 影 :2001/02
伊波城は今帰仁城主の子孫である伊波按司が13世紀から14世紀に築城した城です。
伊波城入り口。
兼箇段グスク
四等三角点:兼箇段
1/5万図名 :沖縄市北部
撮 影 :2001/02
按司が居城していた事実は明らかではない様です。頂上あたりからは多くの遺物が採取されており、古来より人々が居住していた事がうかがえます。
兼箇段グスク遠望
兼箇段グスク入り口
琉球政府時代の三角点標石
喜屋武グスク
四等三角点:仲嶺
1/5万図名 :沖縄市北部
撮 影 :2001/02
17世紀半ばまで烽火台が設置されていた所として知られている。
冠船、進貢船、薩州船などの入港を、烽火を用いていち早く王府に通報する役目を担っていました。
周辺は、発掘調査が行われていました。
喜屋武マーブ公園内の岩の上にあります。
標石の周りの石は保護石です。
越来グスク
琉球国王・尚泰久、尚徳、尚宣威、居城した所として知られる。十一世紀の築城と伝えられるが詳細不明。
城前児童公園の一画に拝所がありますがグスクの痕跡は何一つ残っていません。
城前児童公園内にある配所と案内板
北谷グスク
我が町ちゃたんのグスクです。数回にわたる調査が実施され出土遺物は土器、青磁、白磁、陶器、須恵器 、鉄釘、銭貨など14~15世紀のものが主体をなしているそうです。戦前は、地域の人々の重要な聖地だったということです。(現在米軍施設内)
三角点近くの石積み
標石周りにも石が、ごろごろ転がっています。
瀬長グスク
那覇空港南側の小島にある瀬長グスクは、豊見城村発祥の地と言われ、 「南海大神ガナシ」が住んだところとされ、多くの拝所が存在します。第二次世界大戦前は、多くの石積みが残っていたそうですが、戦後米軍の弾薬庫として使用され、グスクの面影を見ることはできません
瀬長グスク案内板、島全体が瀬長グスクとして、多くの拝所があります。
白い板は対空標識、写真測量で使われます。
大里グスク
四等三角点:大里城
1/5万図名 :沖縄市南部
撮 影 :2001/02
14世紀頃、南山王、島添大里按司によって築かれたグスクです。
崖を背にし、堅固な城壁と天然の地形を巧みに取り入れた作りをしている。
当時大里グスクと覇を競った、勝連グスク、中城グスク、佐敷グスク、 首里グスクの動向を
一望できる戦略的に有利な位置に存在しました。
後に、尚巴志の三山統一の足がかりとして攻め落とされ、三山統一の軍事拠点として利用されました。また、三山統一後は首里城の支城としても利用されたグスクです。
わずかに残る石積み、現在は大里城跡公園となっております。
展望台横にある三角点標石です。
大城グスク
14世紀頃に大城按司(麻真武)の居城したグスクであるが、築城主は定かではない。現在は、島添大里按司との戦で敗れ自害した大城按司の墓が残っている。
1990年の遺跡調査では、城壁は崖に沿って野面の石済みで取り囲んでいて南側の城門、 本丸と二の郭が確認された。
出土品は、グスク土器、褐袖陶器、中国製の磁器、刀剣などが出土した。
大里村教育委員会設置の案内版
右側わずかに残った石積みあと。
この先に三角点があります。
玉城グスク
知念半島の太平洋を眼下に納める、標高180mの石灰岩の丘陵に築かれた古城。
沖縄開びゃくの神アマミキョが築いたといわれ、城主はアマミキョの子孫の天孫子で あったという。
大岩をくり抜いて作られた城門
城門をくぐり、右側の城壁の上にあります。
琉球政府時代の三角点標石
糸数グスク
城壁は野面積みの石垣と切石積みの両方を巧みに用いて築かれている。
最も高い場所で6m!現在城壁復元工事が行われていました
糸数気象レーダー観測所北側の森の中に三角点があります。
真壁グスク
四等三角点:真壁城
1/5万図名 :糸満
撮 影 :2001/09
真壁集落の北側丘陵に築かれたグスク。グスク入り口には、白馬をめぐっての戦で、
国頭按司に敗れた真壁按司の無念の思いを鎮めようと 建てられた真壁神宮寺がある。
展望台横にある三角点
三重グスク
三重グスクは海の玄関「那覇港」を守るため、16世紀後半に築かれたグスクです。
現在、三重城側と那覇空港を結ぶ県内初の海底トンネル(沈埋)の工事も進められています。
拝所の裏に三角点があります。
台グスク
1440年ごろ、護佐丸が座喜味城より中城城に移る際に、 一時的に居住したグスクだと伝えられている。
頂上付近は石垣など残っておらずグスクだった面影を見ることはできません。
旧三角点台城のあった場所、
今は小さな拝所が見られるだけです。
旧三角点台城より太平洋を望む、
遠くにうっすら見えるのは宿敵!
阿麻和利の住む勝連半島。
県道146号線沿いに移設後の三角点台城
保栄茂グスク
「保栄茂」と書いて「びん」と読みます。豊見城市、保栄茂集落の北側丘陵にある
頂上までの道は整備されてます
頂上部三角点と拝所
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